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本文のはじまりです。

神がかった自然

2008 年 11 月 18 日

天川村で見たものでいちばん印象に残ったのは、夜空に広がる天の川と、森と、神社に必ずあったたくさんの巨大な木でした。

川合地区にある天之水分神社のご神体であろうと思われる、直径が軽く2メートルを越えていた杉の巨木。

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前回のポストで書いたいちょうの木もそうだけど、こういう圧倒的な存在感の前に立つと、畏敬の念にかられつつも、ちょっと触ってみたい欲求にかられる。もしかすると、これは大胆不適な行いなのかもしれない、、、と思いつつも、どうしても手のひらを当ててみたくて。触れると対話が出来るのか?というと、そういう訳でもないのですが。

しかも、それを写真に撮ったのだけど、、、巨木さんたち、怒ってないですよね?

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水の森とコンクリート

2008 年 11 月 13 日

奈良県吉野郡天川町にある天河弁財天という場所に行ったのは、田口ランディの『水の巡礼』というエッセイに触発され、その中にあった写真家の森豊による湿り気が感じられるような森の写真を見て、こんな場所に身を置いてみたい、、、と思ったのがきっかけでした。

行ってきました。2泊3日で聖域と呼ばれる周囲の山を出来る限り歩き回ってみました。森には至る所に巨木がそそり立っていて、森全体が水気をたくさん含んだきれいな空気に包まれている感じ。木も下草や苔、きのこなんかもたっぷりと水気を含んでぷるぷるしていました。澄み切った水の流れに逆らって、マスが群れになって登っていました。

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なのに。

どうして、そんな清流をコンクリートでせき止めて、ダムを造らないといけないんだろう?近くに工業地帯があるでもない山深い清流にダムを造り、エメラルドの水が流れる川床へ向けて「放水時の避難路」としてコンクリートで固められた傾斜路が何本もつくられ、放水の情報をアナウンスするために設置された醜悪な巨大スピーカーからは1日に2度、ばりばりに割れた音で役場からのお知らせが流れる。

どうして、神聖な雰囲気さえ漂うあの山に、コンクリートの土台をどん!と据え、あんなに醜い鳥居ともゲートともつかない巨大な赤い建造物を建てる必要があるのだろう?

どうして、あの森の調和の中に、コンクリートで木の形を真似た手すりや階段を据え付け、それをコンクリートの土台に埋め込んでしまえるのだろう?視覚的にも触っても異質な感触を残す、あんな無神経なものを誰がどうやってあの美しい森に持ち込もうと決めたのだろうか?

アレックス・カー著『犬と鬼』の 中で著者が力説している「何が日本の景観をダメにしたか」という構造について、わたしは今回の天川村で苦い体験として体に刻み込まれるように理解しました。それは、天川の森が開発を醜いものとしてはっきり映し出すほど、美しい水に満ちた気持ちの良い場所だったからだと思います。

天河弁財天は静謐で特別な感じのする場所だったけれど、そこにたどり着くまでに見た風景に心が痛み、すっかり疲れていた。道の向かいにこんもりと茂る巨大なイチョウの木はその場のエネルギーの強さを象徴しているように見たけれど、神社から全体像を撮ろうとするとどうしてもフレームを電線が横切るし、掃き清められた境内を一歩出ると、無神経で脈絡のない山村の開発だけが目に痛く、殺風景な駐車場に囲まれた「天の川温泉」に着いても湯につかる気も失せるほどぐったりしていたのでした。

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日本には、もう「秘境」は存在しないのだろうか?都会からあれほど離れた場所で、秋でも満天の天の川が望める「天川」という魅力的な名前を持つ村。人を惹きつけてやまない、そんな古代日本の信仰の根源になるような森と川が、今も続く脈絡のない開発で徐々にコンクリートとアスファルトで覆われていく。

復元の道は、必ずあると信じたい。

センスのある観光行政というのは、ヨーロッパには数々存在するのだけど、それは住民が持つその土地に対する愛情と、そこを訪れることを楽しみにする旅行者がもたらす効果を行政がしっかり認識し、そこにある歴史に誇りを持ってそれを護ろうとするからだと思うのです。

でも、この天川村の場合はどこから手をつけたら「どうにか」なるのだろうか?

わたしは今まで自分のiPhotoアルバムには「美しいもの、好きなもの」だけを残しておきたい、と思っていた。なので、天川でも最初はいつものように、慎重にフレーミングして見たくない乱開発や醜悪な物体は避けて撮っていたのだけど、あまりにひどい惨状を何度も目にして、これは我慢して撮影し、ブログに載せてたくさんの人に見てもらう必要があるのでは?と思い始め、写真の撮り方がこの時をきっかけに大きく変わりました。

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吉野杉の谷間に、こんな美しい農家がまだあった!と思って近寄ったら、目の前は道路拡張工事の最前線だった。ここは洞川温泉に向かう21号線の峠の入り口で、この道はすでに対向車線になっているし、ここを走り抜ける小さなバスはこの峠で対向車とまったく問題なくすれ違っていたのに、吉野杉の森を少しずつ切り開きながら道路を拡張する必要が本当にあるのだろうか?

水の森に入って、そして出て来るまでは、こんな風景にここまで強い違和感を持ってはいなかった気がする。

でも、今でははっきりと区別をすることができます。
手入れの行き届いた農家のたたずまいは「森」に近く、古いルーツを持つ日本の文化と美意識から生まれている。けれど、コンクリートの壁と排水の穴は無神経で野蛮で、森の神聖さや文化の洗練からは遠く離れた存在だと思う。造成したての今は、ある種の清らかさがあるにはあるけれど、年月が経つと水が滲み出し排水穴の下は水垂れで汚れ、壁全体が赤茶けたカビのような色になって風景を浸食していく。

コンクリートに蓄積される年月は、農家や森の持つ時間とは全く異質な風景を作り出す事を、帰路のバスの窓から、延々と続く道路脇のコンクリート壁と吉野杉の作り出すコントラストを見ながら思った。これがどこにでもある風景で、わたしたちがあまりに見慣れていること、それが一番の問題なのだ、と気づいた帰り道でした。

寄り道

2008 年 10 月 14 日

先日、帰国しました。日本では東京と関西の間をいつも往復するのですが、その中間の名古屋から内陸に少し足を延ばして、時間が許せば寄りたい場所があります。

多治見のギャルリ百草。今回は3度目の寄り道で、早い秋の夕暮れを楽しみました。帰路は虫の合唱に送られて。

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作陶家の安藤雅信さんの仕事を『茶の箱』という本で見つけ、雑誌でカフェが紹介されていたのを読んで行ってみたのが昨年の夏。以来、その「茶の箱展」の第3回のオープニングに行って作家さんたちの様子を端っこから見ていたことも。なぜかまだご本人には話しかけていないのだけど、デルフト陶器に触発されたというお皿や湯のみは、イギリスの我が家でテーブルの洋食器と和食器をしっくりと馴染ませるお気に入りの存在です。

今回はとくに安藤明子さんの作る「サロン」 というスカートがお目当て。最初の訪問で買ったこのサロンがこの夏とても活躍したので、冬用が欲しくなって。重ねて着るやり方をお店の人に教えてもらい、じっくりと時間をかけて選びました。ここはスタッフの人達がいつも素晴らしいのです。そして、これを着ると、振る舞いや歩き方が少しゆったり女らしくなる気がする。着物みたいな「裾さばき」が必要になるから。この秋冬は短めのブーツとあわせて重ね着を楽しみたいと思います。

革のサドル

2008 年 10 月 12 日

前回のエントリーでヴィンテージ自転車のオークションのことに軽く触れ、でもそのことを書く時間がなかなかありませんでした。今、日本に帰国しているのだけど、時差ボケの眠れない夜にその時のスナップを思い出し。たくさんの、いろいろな形と模様の革のサドルがあのイベントでのわたしの一番のお気に入りだったのでした。

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オークションを仕切るのはプロのオークショネアー。6時間ぐらい立ちっぱなし、紹介しっぱなしのその体力には驚かされる。ずっと座って真剣そのもののバイヤーもいます。前列に陣取っているのは年季の入ったコレクターたち。

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ちなみに、1台だけ欲しいと思ったのはこの自転車。1930年代のものがほとんど新品のぴっかぴかなコンディション。しかもわたしサイズ。パートナーが替わりに競ってくれたけど、負けました!

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このぼろぼろの部品にも競りナンバーがついてたけど、誰か買ったのかな、、?なんとなく、欲しくなるのも分からなくはないけど。インテリア小物として。

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2008 年 9 月 30 日

気づくと9月も最終日。秋はイベント続きで、気づかないうちにどんどん深まってしまいます。ロンドンは朝晩かなり冷え込むようになり、予報では今週の後半には3度まで下がるらしい。えー、冬がそこまで来ている。。。

毎年、この時期に恒例のヴィンテージ自転車のオークションというのが友人の元農場で開催され、わたしはパートナーが丸一日かけてそれに参加するのを横で見ていたり、ジャンブル・セールを冷やかして歩いたり、たまに留守番で売り子をしたり、農場を散歩して木の実を集めたりする。今年はお天気がよかったので、紅葉しはじめた田園を楽しみました。これが友人の経営する「The Old Bicycle Co.」のオフィス外観。

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ちょうど読んでいた本「ひとつ、村上さんでやってみるか」にはさんで、押し葉にしました。同じ木からも、いろんな色の葉が落ちる。下は野バラの実、ローズヒップ。かわいい。

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これはsloeという名前、別名Blackthornの木の実で、これをジンに漬け込むとスロージンという香りの良い赤いお酒になります。さっそく摘んで帰り、砂糖と一緒に漬け込みました。写真は一夜明けた朝の様子。

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右のジャーはブラックベリーとりんごのジャム。りんごは農園の木にたわわになっていて、これ全部でジャムを作ったら売るくらい出来るな、、、と思ったのでした。でも、ジャーはオーブンで、フタは熱湯で消毒しないといけないし、ジャムも煮詰まるまで時間がかかってけっこう手間。 それでも、ただで収穫した秋の味覚で冬に備える、というのはけっこう楽しいものです。

オート・ジャンブル

2008 年 9 月 16 日

ロンドンから南西に2時間ほど車を走らせ、サウザンプトンの近くのBeaulieu(ビューリーと発音)という小さな街で毎年開かれる「オート・ジャンブル」というのに行ってきました。

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2,000軒の小さな屋台が芝生の丘にずらーっと並ぶ様子は壮観。ごちゃごちゃと、所狭しと、ヴィンテージの車の部品や古い自転車、車やオートバイや自転車に関係するありとあらゆる物が売られるのです。

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エントランスを入ったメインの通りはアルミ板で道が出来てるけど、ちょっと外れると草原です。前夜の雨で地面がぐずぐずなので、長靴が一番正しい履物。気合いの入った人は、こういうカートを引いて買い物にやって来る。飛行機のおもちゃを売る人、おもちゃの車のタイヤばっかり並べてる店。売れるのかな?

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1920年代のピクニック・セットがあって、かなり真剣に欲しかった。けど、高い割に使えそうにないのです。インテリアの飾りにしては場所をとるしなぁ、、、。ヴィンテージな自転車の部品もあちこちに。

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端の通りにあったのはムーアの彫刻ではなく、車のボディーでした。思いっきり錆びてますが。もっとさびさびのボディ部品だけ売ってる店もあり。並んでるってことは、買う人もいるのか、、。

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ハンドルの専門店と、オイル缶のスペシャリスト。トニー・クラッグの80年代の作品のインスピレーションはここからか?

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出店者の多くは2日間その場でキャンプしていて、あちこちに素敵なモーバイル・キッチンがあって美味しそうな匂いが漂っている。コンパクトで軽やかで、いいなぁ、こういう暮らしも、、、なんて思いながら、つい足を止めて見入ってしまうのでした。

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毎年9月のこの頃にある、このイベントのオフィシャルのサイトはここ

大好きな場所

2008 年 9 月 12 日

8月の末にAXISでフォーラムをやった時に出会ったデザイナーのひとりに「イギリスを観光するなら、外せない場所は?」と訊かれたのですが、その時に「design-hugのブログで書くから」と答えてから2週間以上経ちますね。えっと、、、すでに旅立ってしまったでしょうか?イギリスでもネットにつながれてることを祈って。ここ、ここです!

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Kettle’s Yard。ケンブリッジの中心街から少しだけ歩いた場所にあるアートギャラリーの隣に、1930年代にテート・ギャラリーのキュレーターだった人が古いコテージを改築した住まいとアートコレクションが残っていて、それが一般公開されています。わたしはここが大好きで、これは英国の宝だと思っています。

入り口は見逃してしまうほど素っ気ない小さなドアで、ぶら下がっているリングを引っ張ると係の人がドアを開けてくれます。  まず迎えてくれるのはカンディンスキーの版画。そして、夫妻が何十年もの年月をかけて集めたというビーチで拾った「限りなく球に近い石」たち。小さな彫刻と庭の花と、貝殻やガラス玉と一緒に明るい窓辺に飾られています。もうここで、ため息が。

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トイレと洗面台の間にベン・ニコルソンの版画。。。うーーーん。。素敵すぎてしばし絶句。
階段下の小さな空間にピアノが。その上にはさりげなくぽつっと、ブランクーシ。あぁぁーー。

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他にも、コーンウォールの風景画家で知的障害者だったブライアン・ピアースがたくさんコレクションされているし、ロジャー・ヒルトンの絵画、バーバラ・ヘップワース、ナウム・ガボにヘンリー・ムーアの彫刻、ルーシー・リーの陶器も。それが、小さなコッテージ3棟を1930年代後半のモダン様式でギャラリーとライブラリーをで繋いだ素晴らしい住まいに小石や植物の種、金属の破片、ヴィクトリアンのガラス器、ナヴァホの織物なんかと同等に仲良く飾られている。好きな人だったら、宝探しのような訪問になると思います。

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この住まいが、アートコレクションと当時の什器そのままケンブリッジ大学に寄贈され無料で公開されているという、そのスピリットにいたく感動します。インテリアを撮影したい人は3ポンドのチャージを払って入り口で許可を得ますが、中に入ったら「本当に3ポンドでいいんでしょうか?」といつも思います。「帰りたくなーい!ここに泊まる。」と何度行っても思う場所なのです。

Have a good journey.

眺めのいい部屋

2008 年 9 月 4 日

一週間ほど、赤坂にある「グランドプリンスホテル赤坂」に滞在しました。実は、お気に入りの東京の宿です。

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フロアプランがとてもよく出来ているので、どの部屋も「角部屋」で窓が大きく眺めが良い。部屋の照明を落として、夜景を楽しむのが大好きなわたしには「ハズレなし」の嬉しいホテル。東京タワーが見えるとさらに嬉しいのはなぜ。

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飾りすぎてない、素っ気ないくらいのインテリアも好み。サーリネンの椅子が似合う空間。廊下のドアを開けて、まず長い廊下があるのも好き。距離があるから、廊下の音もベッドまでは届かない。

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その廊下にはクローゼットと並んで冷蔵庫やミニバーのセットもある。バスルームの入り口もこの廊下に面しているし、片面は大きな鏡で姿見もばっちり。雑多だれど必要な道具たちが寝室からは見えないのはいいですね。よく出来てる、ここのプラン!とどのタイプの部屋に泊まっても感心します。

洗面台とバスルームも、質実剛健で気持ちよい。3面鏡になってるのも使いやすい。たっぷり物を置けるスペースがあって、鏡に近づくことが出来て、しっかりした照明があること。これが洗面台まわりの3大条件だと思うのだけど、ここは掃除しやすい素材で使用後も「こざっぱり」保てて、ほんとうに気持ちよいのです。デザイナーズホテルにありがちな「水しぶきが散ったらもう台なし」みたいな洗面台周りが大嫌いなので。

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エレベーターホールにある電話台、これもサーリネンかな?時代が一巡して、レトロと言うには「今」にしっくり落ち着く感じ。

この丹下健三設計の新館は1983年にオープンした建物で、ウィキペディアによると「大規模改修が行なわれず老朽化が進んでいる。地域再開発も含めて検討課題とされている。」とあるけど、えー?再開発なんてしないで、この親しみやすい「赤プリ」はこのまま残しましょうよ〜。

ホテルマン&ウーマンがとても気持ちよいのもここの特徴。他のプリンスホテルのようにチェックアウトで並んだりしなくていいし、鍵を残して出かける時もフロントに着くまでに誰かが来て預かってくれます。わたしは去年の秋にも10日ほど滞在して、ここのセーフティーボックスにパスポートや通帳、外貨なんかを一切合切置き忘れたのだけど(迷惑な客ですね、、)、ものすごく丁寧に対応してくれて次の宿まで書留で送ってくれました。

「ノー・クリーニング券」というのも、好き。「今日は掃除とタオル交換は必要ないです」という紙に記入して残しておくと、ゴミ箱だけは空になってて、あとで「館内で使える1,000円券」というのを渡されます。つまりは宿泊費の割引ですね。部屋にたっぷり置いてあるタオルを毎日替えてもらわなくてもぜんぜん平気だし、シーツだって一晩ではそんなに汚れないもの。いつも「ホテルって、環境に悪い、、」と思っているので、少しだけ気が軽くなる。で、この券を持って朝食を食べに行くのです。高級レストランか料亭しか選べない朝食がとっても高いのだけが不満で、いつも「素泊まり」なので。

コンポスト・マニア

2008 年 8 月 12 日

今年の1月に、スタジオの裏庭にコンポストの場所を作った。「コンポスト」とは、畑作りなどに使う有機堆肥のことです。

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フタつきの、逆さまにしたブリキのバケツみたいな容器がコンポスト・ビンです。底板はなくて中のものが直接土に乗っているので、ミミズは底から自由に出入りできる。ここに、キッチンで出る野菜くずや再生紙の卵の箱、段ボールの切れ端、植物の葉を刈ったりしたものをどんどん入れて時々かき混ぜると、バクテリアの働きで分解され、7〜8ヶ月後には栄養たっぷりの土になる。底の右手にあるドアみたいなのを上に引いて、出来た土を底からかき出す仕組み。

これは、画期的です。

なにしろ、ゴミが減った。以前は週に2回はくくって出していた20リットル袋のキッチンのゴミは、なんと4分の1に減った。今では2週間に1回しか出さないので、夏場は臭くなるので容量の小さいのに替えようかと思っているぐらい。よい土をつくるためには「茶色系」の紙とか枯れ葉を生ゴミとほぼ同量混ぜないといけないので、トイレットペーパーの芯やキッチンペーパーの芯もすべてちぎってここに入れる。コーヒーのかすやお茶の葉、ティーバッグもここへ。郵便物の封筒や梱包材も、漂白のされていないものはここへ。

野菜の洗い方も変わった。せっかく野菜についてくるオーガニックな土が下水に流されるのがもったいないので、にんじんやじゃがいもはまずピーラーで皮を剥いて、土のついた皮をコンポスト行きの紙バッグに移してから、水洗い。

気温の低い冬場はあまり生物分解が進まないので、あっと言う間に「素材」がビンの中に積もって、これだと2台目がすぐに必要になるなあ、、と思っていたら、温かくなったらビン全体が発酵、分解の熱で温かくなって、中味がぐんぐん減り始めた。分解が進んで、完全に土になる頃には容量が元の素材の75分の1になるのだそうです。ビンの中は臭くなる事はなく、いつも土の匂いがしている。

そして先日、ようやく土になったこの肥料を使い始めたのです。中庭で育っているトマトとかぼちゃの鉢に、この土を足してみた。 栄養価のほどはまだわからないけど、今まで焼却場まで運ばれて燃やされていたゴミが、こうやって微生物の力を借りるだけで使える土になるなんて、嬉しいです。地球が持っている循環システムは素晴らしいなぁ、と思う。

わたしのスタジオに来るインターンシップは、まずキッチンの使い方を知って、スタジオのHPからリンクがあるコンポスト・ガイドを読むように伝える。だって、知らないで野菜を大きいまま放り込んだり、チーズのかけらを入れたりしたら困るのもの。

最近読んだある記事に、コンポストの栄養バランスを整えるよい素材のひとつに「髪の毛」がある と書かれていた。野菜が、元気に大きく育つんだそうです。ほほーぅ。わたしはもともと、排水管のつまりが心配で髪を洗った時に流さないで集めていたので、これをゴミ箱に入れる替わりにコンポストに入れてみる事に。これで育つのは来年のトマトだけど、ともかく実験。こうやって有機肥料に足すなら、薬剤を使ったヘアカラーはもうやらないほうがいいかな、、、と思う。でも、そこまで考えるなんてちょっとマニアックな感じ?と我ながらふと思ったのでした。

野菜を育てている人には、分かってもらえるでしょうか?安全で元気なのを育てたいですものね。写真は鉢植えのプチトマト。夏が終わる前に、赤くなれ〜。

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正しい足元

2008 年 8 月 6 日

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今回のVitra Design Workshopに持って行ったパタゴニアのサンダルは、すごーく履き心地が良くてわたしは幸せでした。コルクの底が足に馴染んで脱げないし、底がしっかりしているので舗装してない道や草原も歩きやすい。空気が通って涼しく、朝露の冷たさなんかもちゃんと感じられる。この靴で歩くと楽しいので、わざと道ではない草原をつっきって、泊まっていた部屋とみんなの集まる広場を何度も往復しました。

イギリスの森では夏でも「muddy boots」と呼ばれるしっかりした靴を履かないとどろんこになるから、どうもその感覚が抜けなくて2年前は厚底のトレッキング靴を持って行って、同じ場所なのに歩いた印象がずいぶん違った。さらにその前は街用のスニーカーだったりビーチサンダルで指の股にマメを作ったりした(かなりな距離を歩くから)ので、4度目にして初めて、ふさわしい足元で一週間を過ごしたなー、と思います。

今またロンドンに戻って、まだ少し枯れ草のついているこのサンダルを履いてあの空気を懐かしんでいるのだけど、どうもしっくりこない。スタジオでは足元が冷えて落ち着かないし、街を歩くと横滑りする気がする。なぜ?と思ったら、歩く速度がまったく違っていたのでした。あんまり治安のよろしくないわたしのスタジオの周りでは、どうもせかせかと先を急ぐ歩き方になっているみたい。

場所と靴の関係は、単に歩いている表面の質感や温度や湿度だけではなく、どんな気分で歩いているかも関係するのですね。まさに夏休みの足元だったんだ、このサンダル(仕事してたんですけどね、いちおう)。

I took this woven sandal to Boisbuchet, at Vitra Design Workshops this summer. It was so appropriate and I had different experience from other type of shoes I took early years. Thick soled tracking shoes did not give me nice moisture impression from walking on wet morning grass fields. So, I walked wherever not surfaced, enjoyed temparature, texture and hairy grass on my feet.

Now, I am back to my studio in London, wear these shoes and miss the atmosphere of Boisbuchet, but they do not react in the same way - I feel cold from foot in my studio, also slippery when I walk neighbourhood in this pair. Why? I realise that speed of walking is much faster in town, esepecially in rough quarter of London. I am not totally relaxed here, so this pair of sandales are for special occasion. It was perfect at Boisbuchet.

本文のおわりです。

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